結成準備会の発言記録 

【司会/今谷陽穂】

本日の司会を務めさせて頂いています北九州市立大学の今谷と申します。よろしくお願いします。それでは、開会に先立ち、あいさつを中野洋一九州国際大教授からお願いいたします。

【開会あいさつ・九州国際大学教授/中野洋一】


九州国際大学教授/中野洋一

みなさんこんにちは。今日は憲法を守る市民ネットワーク結成準備会を記念するシンポジウムでありますが、私も代表呼びかけ人の一人として名を連ねています。私は今、九州国際大学国際商学部の学部長をしておりますけれども、中野と申します。よろしくお願いします。

  今日のシンポジウムですが、北九州平和を考える市民の会の吉尾さんから最初に話がありました。この話 中野洋一九州国際大学教授教授が来たときに、私は一瞬ですね、この代表を引き受けることにちょっと躊躇したんですが、でもお話を聞きまして、党派を超えて平和憲法を守ろうということで、私自身も、そのことについては、強く惹かれました。私で良ければ、そういうことについて少しでもお役に立つならばということで、若輩ではありますが、代表というお話をお引き受けした次第であります。
  現在イラクにおいて、ほとんど毎日戦争に近い状態が繰り返されています。つい最近でもスペインでテロ事件があって、次は日本かというような状況になってきています。そういう中でですね、我々日本が、平和憲法を持ちながら、なぜ自衛隊が海外に出かけなければならないのか、おそらくですね、これは党派を超えて、今まで自衛隊を見てきたなかで、多くの市民の方が感じている率直な疑問ではないかと思います。
  私事ではありますけれども、実は私の父親は、自衛隊でした。今は退職しましたけどね。私の学生時代には、やはり今日のイラクと同じようにして、ベトナム戦争がまだ終わっていない時期でした。そういう時期のことを思い出しますと、まだ21世紀になっても戦争が繰り返されているのかという思いでいっぱいです。私自身も、専門としては、国際経済ということをやっていますけれども、特に平和問題には強く関心を持っています。途上国の貧困問題、軍拡、武器貿易というのを私自身の研究テーマとしています。現在、60億人の地球人口のうち、世界銀行は、貧困者というのは、1日1ドル未満で生活している人々を貧困者と言ってますけれども、12億人いると発表しています。また、1日、その日、食べ物がまかなえるのか、まかなえないのかというですね、いわゆる飢餓線上にある人々が8億人いるといわれています。
  それから、いろんな国連統計が出ていますけれども、一日、子供達だけで、3万人が貧困からくる病気や栄養失調などで死んでいます。それからエイズという病気がありますけれども、これもですね今、4000万人の感染者が出ていますが、90%以上が開発途上国の人々です。これで年間300万人以上の人々がエイズで死んでいます。1日になおすと、1日8000人くらいです。これらの数は、ニューヨークのテロ事件以上の数なんですね。ニューヨークのテロ事件の死亡者は、1日3000人というふうにいわれていましたね。最初の報道では、6000人かといわれていたんですけれども。つまり開発途上国では、こんなふうにして、実際、戦争がなくでも、毎日戦争のような状態が繰り返されている。その一方で、世界では年間8000億ドルを超える軍事費が使われています。こういうような状況の中で、どうやったら世界の平和が守れるんだろうかということを私自身の研究テーマとしても取り組んでいます。
  そういうなかで、日本の国際貢献というものが求められていますけれども、私個人としては、日本の国際貢献は必要だと思います。ただし、こういうような世界の状況を鑑みるときですね、軍隊を出す、自衛隊を出す国際貢献でいいのか、というのが私の率直な気持ちです。平和憲法を持つ日本ならば、それにふさわしい本当の意味で途上国の人々から喜ばれるような国際貢献があっていいのではないかというのが、私個人の思いです。そのためには、何としても平和憲法があって、はじめてそれができることだと私自身思っています。
  今日の集会の中で、何度も言いますけれども、党派を超えて、このようにして日本の平和憲法に思いを馳せる人々が集まっています。そして今、自民党、民主党の中で共同して憲法を改正しようという動きがありますけれども、やはり、これは一市民として、一個人としてですね、やはり何とか阻止して、平和な日本憲法を守り、そして平和の意味で、日本が世界に貢献できるようにならなければならないという一個人の思いであります。そのような思いで今回の代表呼びかけ人ということをさせていただきました。これから北九州市立大学の先生達の議論の中で、こういった色々な側面から平和憲法を考えるという、議論が深まると思いますけれども、どうぞ最後までご静聴頂ければありがたいと思います。簡単ですけれどもあいさつに代えさせて頂きます。ありがとうございました。

【司会】
  それではこれからシンポジウムに移りたいと思います。マイクはコーディネーターの三輪先生にお渡ししたいと思います。よろしくお願いします。

【コーディネーター・北九州市立大学教授/三輪俊和】


  三輪俊和北九州市立大学教授

  憲法が花開く、平和で豊かな北九州を語ろうというシンポジウムを開催させて頂きます。今日は憲法に対するそれぞれの思い、どんなふうにして憲法を守っていこうか、いろんな思いで参加されたと思います。みなさんも討論に参加して頂くという形で進めていきたいと思います。
  私の方から3名のパネリストを紹介させて頂きます。着席順に、北九州市立大学で憲法を専門にされております、植木敦さんです。続いて、北九州市立大学、社会福祉が専門だと聞いております、小賀久さんです。そして女性高齢者問題研究家だというふうに紹介させて頂きます。冨安兆子さんです。  本日は90分を予定しておりますが、最初に3人のパネリストから、それぞれ15分づつ程度で、一番大事なところ、思いを述べていただきます。そして皆さんから、それぞれの討論に参加して頂くという形で、進めていきます。コーディネーターは私、北九州市立大学の三輪でございます。よろしくお願いします。それではさっそく植木さんよろしくお願いします。



【パネリスト・北九州市立大学助教授/植木淳】


植木淳北九州市立大学助教授

  御紹介をいただきました北九州市立大学の植木です。よろしくお願いします。本日は私が一番若輩ということで先頭バッターを承りました。野球の場合、先頭バッターであれば、こつこつ転がして塁に出るというのが定石ですが、私は元々三振が多いタイプなので、思い切って振らさせていただきます。特に、今日は監督の三輪先生から思い切って行ってこいとの指示がありましたので、あえて思い切って物議をかもすような話をさせていただきたいと思います。
  今から15年ほど前、私がまだ高校生だった頃、これはいきなり暴投気味ですが、私は護憲という主張には何らの共感も感じていませんでした。なぜなら、その当時、まだ冷戦構造が崩壊してない頃には、例えば「憲法が改正され自衛隊が正式な軍隊になれば、日本が軍事大国化してアジアを再び侵略する」という主張には現実感を感じなかったし、「憲法が改正されると、民主主義も人権も抑圧される」という主張にも現実感を感じませんでした。しかし、現在は、全く状況が異なります。なぜなら、もし、例えば2年前に日本の憲法が改正されていれば、おそらく小泉政権は、アメリカのイラク戦争に参加して、日本の軍隊が戦争に参加することになっていたと思います。
  従って、もし、憲法改正がなされていれば、イラクで日本の若者がイラクの若者たちと殺し合うという風景が現実のものになっていたのだと思います。
  また、国内をみれば、実際に教育現場では、日の丸や君が代の強制ということが露骨に行われています。その意味で、15年前と比べて憲法状況は確実に悪化してきたし、「憲法の危機」というものも具体的な形で表れていることを指摘しなければならないと思います。
  ところが、このように憲法の危機が具体化しているということは、逆に考えれば、憲法を守れという主張、つまり護憲という主張も、それなりに具体的に市民にアピールできる状況が揃ってきたということもいえます。そして、護憲を主張する側は、今こんなふうに具体的な危険があるのだということをメッセージとして伝えなければならない状況なのだと思います。つまり、例えば、「憲法9条を守れ」というのは関心のない人にとっては抽象的な主張でしかありません。しかし、例えば、「あなたはイラクで日本の若者がイラクの若者と殺し合うことに賛成ですか」というように具体的に状況を設定すれば、現在でも多くの日本人は反対すると私は考えています。さらに、例えば、「基本的人権を守れ」という主張も、人権に関心を持っていない人にとっては抽象的な訴えに過ぎないものです。しかし、例えば、「あなたは嫌がる人に対してまで、日の丸への敬礼を強制する、あるいは、無理やりに君が代を歌わせることに賛成ですか」という問えば、それでも多くの日本人は反対するであろうと私は思います。したがって、これほど「憲法の危機」が具体化している現在、我々は多くの市民に具体的なメッセージを持って訴える必要性があると思います。
  この点、これまで護憲派は、我々からみて「意識のある人」が「意識のある人」に訴えるというスタイルだったと思います。しかし、これからは、普通のサラリーマンや、普通の主婦の感性を信じて、この人たちの日常感覚に訴えるような主張をしていかなければならないと思います。その意味で、若干比喩的にいえば、例えば、コンビニの前でたむろしている若い男性達や、あるいは休日に伊勢丹で買い物している女性達の感覚を信じて、その人達の感覚に訴えるようなアピールをする必要があるのだと思うのです。
  それでは、このような「憲法の危機」という状況の中で、護憲運動の方向性を確認するために今日の資料を御覧頂きたいと思います。
  今日の報告の要旨として、日本国憲法の基本的な構造と危機について、お話しするつもりで資料を作ってまいりました。しかし、既に15分のうちの5分を使ってしまいまして、「日本国憲法の基本構造」どころか、この「レジメの基本構造」すら説明できなくなりました。日本国憲法が危機に瀕しているといっている場合ではなく、この報告が危機に瀕しているという感じになっていますので、今日は資料の2頁と5頁の最後のところだけ簡単に紹介したいと思います。
  まずは資料2頁を御覧ください。ここでは、1946年にできた日本国憲法の歴史的な性格について、この日本国憲法がどういう性格のものだったかについて、3つの要素に分けてお話したいと思います。
  日本国憲法の一つ目の重要な要素は、「リベラリズム」を基礎とする憲法であったということです。この「リベラリズム」という言葉は、今の政治学の常識では、単純に自由主義とは訳しません。ここでは「個人主義」という意味に近いと思われます。これは、国家や社会の都合のために個人が生きるのではなく、個人が基本であって、個人の生き方を大事にするのが国や社会の役割なのだという意味です。従って、例えば、国の伝統とか民族の使命によって個人が生きるのではなく、個人のありのままの生き方、その人自身の生き方を尊重しましょうというのがリベラリズムだといえます。
  しかし、資料3頁の下にあるように、現在、リベラリズムが危機に瀕しています。つまり、例えば、教育基本法の改正や、憲法改正の中で、日本の歴史と伝統という言葉を強調するような改正がなされようとしているわけです。ここでは、我々は、もう一度日本の歴史を勉強て、決して日本列島に生きる人たちが、歴史的にずっと「日本人」として画一的な生き方をしてきたわけではないということを学ばなければなりません。すなわち、大和民族の歴史というものが、日本列島に生きる全ての人々にとっての歴史ではなかったのだということを知る必要があります。そして、このような民族中心主義的な教育基本法の改正や憲法改正に抵抗していかなければいけないと思います。 次に、資料2頁に戻りますが、この日本国憲法の二つ目の重要な要素が、民主主義、特に「議会制民主主義」を基礎とするものであったということです。これは、天皇主権とか貴族主権ではないのはもちろんですが、それだけではなく、例えば、多数派を代表する指導者が決断によって政治を動かすというスタイルではなくて、複数の代表者が話し合いと討論を通じて政治を決めていくというスタイルを日本国憲法は採用したことを意味します。
  しかし、このような議会制民主主義も、現在は危機に瀕しています。これは資料4頁下にありますが、現在、例えば、首相公選制などの主張を中心として、総理大臣のリーダーシップによって政治を動かしましょうという主張が有力になっています。あるいは、このような総理大臣のリーダー シップ・多数派のリーダーシップを強調するための手段として、小選挙区制度が望ましいという主張がなされるようになっています。これは、日本国憲法が想定していた、話し合いと妥協による政治から、まさに多数派の決断による政治、リーダーシップによる政治へと憲法構造の転換をもたらすものです。実際に、現在行われている小選挙区制度の下においては、容赦なく多数派が国会を独占して、少数派の意見が切り捨てられるという現象がおこっています。
 そして資料2頁に戻って、日本国憲法の三つ目の重要な要素は平和主義です。この平和主義というのは、第二次世界大戦以前から存在した戦争を違法とする考え方から、さらに一歩進めて軍備自体を違法とする考え方です。つまり、戦争が違法なのはもちろん、そのために軍備を持つことすら違法だと考えるものです。しかし、これに対して、現在、日本が進めていこうとしている方向は、軍備を肯定するのはもちろん、さらに、自衛戦争を肯定するのはもちろん、それを一歩越えてアメリカの侵略行動に対して参加することすら肯定するものであって、これは日本国憲法の理念からすれば二重に三重に後戻りしている、歴史の針を百年ぐらい元に戻すような動きであることを指摘しなければならないと思います。
 最後に、資料5頁を御覧ください。今、我々憲法を大事にしようと考える側が何を考えていくべきかということについて二つあげさせて頂きました。
 第一に、「政治戦略の共有」と書きました。これは、最低限一致できる目標のために団結しようということです。つまり、例えば、自衛隊を今後どうするのか、安保条約を今後どうするのか、あるいは極東アジアにおける情勢をどう考えるのか、例えば、北朝鮮問題などをどう解決するのかという問題については、いろんな考え方がありえます。
 したがって、そこでは一致できなくても、少なくとも明文の憲法改正だけは直接的な日本の侵略につながるから反対しよう。さらに、イラク派兵というのは、これはアメリカの侵略行為を後追いするものだから反対しようというように、最低限の一致点を見つけて共闘するべきだと思います。
 それから、第二に、「苦悩の共有」と書きました。例えば、自衛隊とか安保条約をどうするべきかという問題について、答えを出すのは簡単ではないと思います。つまり、例えば自衛隊を即刻廃止するとか、日米安保条約を即刻廃棄するということは、はっきりいってできません。したがって、例えば、自衛隊や安保条約について、具体的にどうしていくべきなのかというプロセスの問題については、答えが簡単に出ない問題だと思います。そして、このような問題は、極めて悩ましい、そして難しい問いだけれども、それをみんなで一緒に考えていこうというムードを作るべきと思います。
 さらに、先ほど中野先生の御挨拶にありましたが、戦争がないというだけで、あるいは軍隊がないというだけで、「平和」であるとはいえません。そうではなくて、例えば、アジアにおける軍事的な緊張、政治的な抑圧、人権抑圧の問題などを解決するために、軍備以外の方法で、どんな方法があるのかを考えなければなりません。これは、極めて難しい問題ではありますが、その難問に対して、軍事力を使わないで解決しようという人たちこそ、一生懸命考えなければならないと思います。
 さらに、先ほど中野先生の御挨拶の中にあった、世界中の南北問題であるとか、飢餓の問題であるとか、感染症の問題であるとか、あるいは、例えば地雷の問題であるとかいった、人間の安全を脅かす全ての問題について、軍事力を使わないで解決していくという難問について、みんなで知恵を出して考えていくことが今後の課題なのだと思います。

【三輪俊和】

ありがとうございました。つづいて小賀さんお願いいたします。

【パネリスト・北九市立大学教授/小賀久】

 みなさんこんにちは。北九大で社会福祉を担当しています小賀と申します。私の報告の趣旨は、資料6頁のテーマの通りなんですけれども、憲法25条が今、骨抜きにされているということなんですね。
 私自身は、五市合併以前の小倉市に、昭和33年の1958年に生まれまして、物心がついたときにですね、まだ、紫川にかかっている、今の小倉城からすぐ近くの大きな橋を、傷痍軍人の方々が白い着物を着て、お城の上に座ったり、あるいは松葉杖を就いて歩いておられる光景が、ものすごく強烈に子供心に、頭の中に染み込んでいるんですね。
  それで、うちの父親は当時、今の小倉北区の白銀町というとこなんですが、小さな靴の修理屋をたった一人で営んでいて、そのころ、ちょうど、そうですね、高度経済成長の時期だったので、もう時代は使い捨ての時代ですから、靴を修理してはき続けようなんていう人はいなくなっていくわけですね。ですから、店ももう儲からなくなるということで、その店をたたんで、うちの父親の郷里なんですけれども、今私が生活をしている田川郡川崎町というところに帰ったんです。で、この田川郡の川崎町というところは、たぶん皆さん方もご存じだと思うんですけれども、旧炭鉱地帯で、そのころ、もうどんどんエネルギー政策の転換で、炭坑が閉山に次ぐ閉山、多くの失業者があふれていた。で、僕がその小学校にですね通う道すがらに、一升瓶をかかえて防寒着を着たおじさんなんかが、その朝の寒いときに道ばたに寝転がっているといった光景なんかを見ながら学校に通ったという記憶もあって、で同時にですね、その炭坑に強制的に、戦中従事をさせるために、中国や朝鮮半島から、その国の人たちを軍部が強制的に連れてきて一番危険なところで働かせた。で、そうした人たちが、戦争が終わっても帰るに帰れずに、その地に残って生活を続けるというような、そういう人達の、一世、二世、今、三世、四世いますけれども差別的な取扱い、そういうものを見ながら育ってきましたので、子供ながらに、なんでこんなおかしなことがいっぱいあるんだろうということを考えていたんですね。
  それで、大学を進学する折りに、こういうことが勉強できる学問てないんだろうかと思っていたところ、ま、たまたま社会福祉という勉強があるんだと、これを勉強したら、ひょっとすると自分がわからなかったいろんなことが、わかってくるかも知れないというふうに思って、福祉の勉強を始めたというようないきさつがあったんです。それで勉強してみると、やっぱりこれだったんだというふうに思ったんですね。大学は名古屋にありましたけれども、その当時の大学の先生達にたくさん筑豊に入ってきて、筑豊の貧困の問題なんかをテーマに取り扱うわけです。ただし、やっぱり僕から見ると、よそ者という雰囲気がどうしても拭えなくって、研究材料にしているんだけれども、個々の問題を本気で取り組むっていう人たちが本当にどれくらいいるんだろうかというのを、ずっと疑問に思っていて、できればこの筑豊に帰って、そうした貧困の問題だとか、あるいは障害を持つ人たちの問題だとか、子供の問題だとかを考えられるような仕事に就きたいというように思って、なんとか紆余曲折はありましたけれども、田川に住み、北九州市立大学に勤めているというような状況なんですね。
  それで、そういう僕なりの育ちがありますから、小学校、中学校、高校までがですね、学校に行っても、学校の中に、日の丸が揚がることはありませんでしたし、そのころの教職員組合の頑張りもあったんでしょうけれども、それから君が代を歌ったというような、そういう記憶もないんですね。で、まあ覚えているわけですから、授業のどこかで音楽の先生がそういう歌を教えたんだろうというふうに思うんですけれども、少なくとも、入学式や卒業式の折りにですね、国旗を見て君が代を歌うという経験はなかった。ところが、今、うちの大学の、敷地の中で日の丸が揚がっていますし、かつて、僕が学んだ小学校、中学校、高校にも日の丸が揚がっていますし、先ほどの報告ではありませんけれども、そうした状況の中で、福祉を考えることの大変さっていったようなことも、一方にはあって、そのあたりは最近特に痛感をしているところなんですね。といいますのは、今の日本が、平和な時代を経て、戦争への道をひた走ろうとしているという状況がですね、これは社会福祉にも全然、その別物、関係のないものではなく、むしろとっても深い関係にあるんだということなんです。
  といいますのは、最近皆さん方テレビ見てわかりますように、イラクで、戦争で傷ついた人たちの中に、どれくらい自分の足を地雷で吹き飛ばされて障害者になっているという人がいることか、あるいは、イラクだけではなくて、これまで戦争が起こった国々なんかもすべてそうですね。非常に多くの障害者を生み出している。そうした障害者を生み出すような状況が、本当に国のことを考えて政治を行っているのか、ということを思うと、とんでもないというふうにしか、僕には考えられないんです。しかも、それは直接的に、障害者を生み出すだけではなく、軍備を増強する予算が必要なときには、常に、福祉や教育や医療や、といったような予算が、削られていくというようなですね。それで、今日皆さん方にお配りしました、資料集の中で資料9頁を見てください。表が一つだけあるんですけれども、これを見るとですね、1970年からの約30年間に、福祉や医療や年金にかけられたお金、国家予算が、ほんとに右肩上がりで、ずっと増えていっているっていう図なんですね。
  なかでも福祉が増え方が一番少ないんですけれども、これは常にいろんな形で、25条に明記されている、私たち の権利が、値切られてきたことの印なんですけれども、それでも全体の予算は、減ることなく増え続けている。なんとかこういう予算をですね、削って軍事費に持って行きたいと、あるいは企業がもうかるような形で使いたい、というようことを常に国は考え続けている訳なんです。でも、国民のこういう社会保障全般に対する要求というのは、やっぱりいつも強いんですね。ですから、これを思うように削っていくことができないわけです。
  そこで、国があの手、この手で考えてきたことが何だったかというと、現在の介護保険に代表されるような、つまり、国の責任を少なくしていく。できればなくしていって、国民が自分たちで、保険料を支払って、自分達の必要な介護を買って、自分たちの責任でそれを利用していってもらうっていう、そういうやり方を考え出したんです。そういうふうなやり方を考え出すとですね、全体としたら予算がふくれあがっていっても、実際に、そのお金を支払うのが国民なんですね。例えば、いまの介護保険でいうと、半分は国と自治体が払っていますが、これは税金ですね。そして後の半分は、保険料です。この介護保険を、もっと充実させるというのであれば、二十歳から保険料を支払うようにしなければいけない。あるいは、保険料そのものを、もっと払ってもらわなければいけない。国はもうこれ以上、財源は出しませんよというふうに、はっきり言っている。しかもですね、お金の出し方だけではなく、社会福祉のサービスを利用するのに、契約をしなさい、サービスを使いたいと思っている事業者さんや、施設と契約をして、その契約に則って、社会福祉のサービスを利用しなさいというわけです。
  これまでは、国はですね、社会福祉のサービスを、国の責任として提供していくっていうことに責任を持っていた訳です。ところがこの介護保険を皮切りにして、直接国がサービスを提供することにも責任を持たなくなった。ここにとっても大きな転換点があった訳ですね。たとえば、サービスを提供することに国が責任を持たなくなるということになってですね、サービスを利用しているときに事故があった。で今までだったら、介護保険以前だったら、事故があったときに、事故を起こした施設や事業者を訴えると同時に、自治体や国を一緒に訴えることもできていたんです。ところが、この際、介護保険が始まって、それができなくなっていくというような、そういう流れを国が作り、事業者は当然契約に則って、その契約にはずれたことがあれば、訴えることができるんですけれども、自治体や国は、なかなか訴えることができなくなる、といったようなことがですね、おこってくるわけです。そうしたことが高齢者のサービスだけではなく、障害者のサービスについても、来年から始めていこうと障害者のサービスも、介護保険の中にも一緒にひっくるめていこうということをいっているわけです。
  で、障害を持つ人たちがこれに反対をするとですね、じゃあ、この障害を持つ人たちのサービスにかかるお金は、一般財源化するよと、国は、いっているわけです。で、一般財源化というのはですね、国が予算を立てるんですけれども、その立てた予算を自治体に放り投げると、あとはもう自治体が勝手に使ってくれと、縛りは掛けませんよということなりますから、今、もう日本には3300近い特別区を含んだ自治体、市町村があるんですけれども、そこはすべて赤字です。だから自由に使いなさいっていうことになると、福祉にかける、ちゃんと使うといったやり方をとらなくなるといったようなこともあって、脅迫まがいのことを国は言いながら、この憲法25条を結局骨抜き、空洞化をしてしまうといったような方法を、いろんな制度やサービスのやり方のなかで強制するんですね。ですから、本来だったら介護保険に反対し、このための運動をもっともっと作らなければいけなかったんですけれども、これがなかなか思うようにできませんでしたので、今のところ、この介護保険を今以上悪くさせない、いや、もっともっと国民の立場に立って、充実させていくための運動が、我々、研究者の行う研究運動含めて必要とされているんじゃないかというふうに思います。
  一応時間が経ちましたので、後の補足という形で、じゃどうしたらいいんだろうかというところをまた、お話をしたいと思います。一応、私からの報告は、これで終わりにさせていただきます。

【三輪俊和】

  ありがとうございました。最後に、冨安兆子さん報告をお願いします。



【パネリスト・女性高齢者問題研究家/冨安兆子】


冨安兆子女性・高齢者問題研究家

  みなさん、こんにちは。三輪先生から、とにかくここに出てきて欲しい、何も準備はいらないと、ま、そうは言いながらも、後になって簡単なレジメだけ欲しいとおっしゃってこられました。それで私は簡単なレジメしか用意していなくてすみません。
  私、北九州市立大学で、もう何年になるんでしょうか、女性史の講義をしてきました。後期には、今世界の中で女性がどういう状況におかれているのかということを実際に自分がこれまで43くらいの国の視察や、調査に入ったことを含めて、特に第三世界の女性達がどのような状況で暮らしているのかをぜひ日本の比較的経済的に豊かなたくさんの若い人たちに知らせたいと思って講義をしてきました。
  それから下関市立大では女性の人権、あるいは生活のなかで、「フェミニスト経済学」というのをずっとやってきたんです。フェミニスト経済学とはどういうことかといいますと、経済学を構築する段階で、経済学に限りませんけれども、これまで女性がカウントされていない。つまり女性の姿がない。そのことの問題性を、さまざまな現象、資料から明らかにしょうとするものです。例えばケインズなんかが中心に作り上げました経済学の理論でも、もともとは戦費をいかに作るかという所から国民経済体系が作り上げられてきたということを、20年以上にわたって世界中の資料を集めて、”if women counted もし女性が数えられるならば”という、ニュージーランドの国会議員であり、研究者であり、農業者でもあるマリリン・ウオーリンという女性がまとめた労作をテキストにして講義してきました。北九大の学生も下関市立大の学生も、学生のレベルとすれば、箸にも棒にもかからないということではなくて、ま、なかなかなものだといえると思います。しかし、学ぶということに関して貪欲でない。学ぶ条件が整えられていない国、だからこそ学びたいと思っている若者が世界中にたくさんいるんだということを、知らせたいと思ってシコシコと講義を続けてきました。
  学生達は私的なところで、おしゃべりはするけれども、きちんとしたところで、きちんと自分の考えを述べることができるか、と言えばバラつきはありますが、一般に非常に力が弱い。そういう言葉も、育っていない。学生達には、学ぶこと、考えること、行動すること、この三つが有機的に同時進行で行われていなければ、あなたがたに未来はない、みたいなこと言い続けてきたわけです。
  北九大でセクシュアルハラスメントについての講義を学生達にした時、三輪先生も参加しておられて、実に丁寧なコメントを書いてくださいました。丁寧だというのは、大学で教える人というのは、こういう人であって欲しいなと思わせるような、決してお世辞ではありません。ま、そういうコメントを書いてくださいました。で、三輪先生からの要請は受けなければいけないなと思ったのも実はそういうことがありました。
  「今、何で私がここにいるの?」こういうことから話を始めたいと思います。
  呼びかけ人の中野先生や他の先生方から、「そもそも何で」いう話がありましたけれども、実は私もそれを強調したいと思ってここにきたわけです。特にアジア太平洋戦争と、戦後の記憶ということがあります。ここにいらっしゃる中の3分の2くらいの方は、たぶん私と同じような気持ちを共有していらっしゃるんじゃないかと思いますが。私は1934年、昭和9年の生まれでありますから、小学校に入った年に戦争が始まりました。幼い頃は体が非常に弱くて、小学校三年くらいまでろくに学校に行っておりませんので、正真正銘の軍国少女というわけにはいかないんですけれども、やはり天皇のために喜んで死ぬというふうなことを教え込まれた世代です。同時に「鬼畜米英」もたたきこまれました。「鬼畜米英」という言葉知っている?と聞くと今の若い皆さんは、全然知りません。戦争がなぜ起こって、そしてそれがどのように推移して、戦後どのような経緯があって、日本が今ここにあるということについての具体的な知識はほとんど欠落しています。これはたぶんまあ、日本の教育制度が受験勉強のために近代、明治維新ぐらいで終わって現代史までやる余裕がない、そいうこともあったかと思いますけれども。子どもの頃戦争のときに、こういうことがあったんだという話を時々、合間を見ては講義の中に織り込むわけですが。
  例えば鬼畜米英と教え込まれて私なんか、敵国人は、角が生えてて、顔が真っ赤な、本当の鬼かと思っていました。戦争が終わりまして、進駐軍が入ってきたとき、あら角がない、顔も赤くない、人間と同じ顔をしている。ちょっと目が青いかなあとか、そんな感じでありました。そのあとは、ご多分にもれず、教科書の文言を消してですね、それも単純な消し方でありません。今までお国のためにとか、お国を守る小国民とかを説いてきた先生が、その口で、墨を塗らせるわけですから、先生も大変です。涙ながらにということもありまして、この辺の屈折した記憶というのは、これは絶対に、だからこそ戦争は二度とあってはいけないんだということを、固く心に銘記しました。
  戦争が終わった8月15日の晩。私は静岡県の伊豆の田舎で生まれて育っているんですけれども、我が家のまわりに暗幕を張りめぐらすのは、一番下の子供である私の役割でありまして、ああ、今夜からはもう暗幕を張らなくていいというのと、電灯を明々とつけて過ごすことができるという、あの解放感は未だに忘れられません。
  そいうところからも、戦争の悪、二度とイヤだということを身にしみて感じながら生きてきました。それと同時に、女性であるということと重ね合わせてですが、いろんな国にまいりまして、その国の人たちと交流をしたときに、例えば日本がアジアの国々で、中国もそうでしたけれども、どういうひどいことをしたのかということに関して、当然話題になります。私は、私自身がそういうことをした訳ではないけれども、自分達を、私をこの世に生み出してくれた、前の世代の人たちがそういうことをしたのは、本当に申し訳ないことだと思うと、だからこそ平和の構築に向けてどうしたらいいかということを考えてこういう調査もしているんだということを説明するわけですが、その時に、そこにいる女性達は本当にやさしくてですね、それ以上、私たちを責めたりはしません。戦争の時に、女性は選挙権がなかったんだ。女性は政治に参加していなかった。だから、あなた方が、そのことの責任を問われることはありません、と言って慰めてくれるわけですね。つまり選挙権がなかった当時、だからこそ戦争の責任に関しては免責されるというふうな、そういう論拠でなぐさめてくれるわけです。それはある種のいたわりではありますけれども、だからといって私たちはそれで済ますというわけにはいかないということなんですね。
  そういうなかでですね、女性が歴史の中で存在しなかった、本当は人口の半分以上の女性が存在しているにもかかわらず、あらゆるところに女性が存在しなかったということが、実はかつての不幸な戦争を招き寄せた一つの原因でもあると考えまして、人権と女性の歴史というようなことを最大の関心事として、若い皆さんにも説くし、大人の方々にも、機会があればせっせと言ってきたわけです。
  そういう意味ではですね、若い人たちの持っている歴史感覚はどちらかと言えばお粗末で、たぶん歴史は覚えるためにのみ学んだのだと思うんですよね。特に大学に入るために、あるいは、何かの試験に受かるために歴史を学んだのであって、それは歴史の断片にすぎない。なぜそのことが起きたのか、それでどうなったのか、というふうなことに関してはほとんど想像力を働かせる余地のないような教育の内容、それはそれで問われなければいけませんけれども、それは、置くとして、そういう意味では実に歴史に学ばない。歴史に学ばないから、したがって国際感覚も身につかないんだというのが私の見解です。結局は歴史に学ばないということから、いつか来た道をまた歩こうとしているのではないか。ほんとにきな臭い道を今、歩こうとしていると思いますね。
  例えば戦争に関して、女性達はどういう言葉を発してきたかというと、今日の資料として、年表ぐらいは出しておくべきだったと今、ちょっと悔やんでいるんですけれども、樋口一葉、今度5千円札に出てくるようで、若い人たちも知るようになりましたけれども、彼女は、日清戦争の勝利に浮かれている日本の人たちの状況から、「戦争はうとましい」というような感想を日記のなかに残しています。これはまあ、消極的な反戦論、むしろ非戦論でありますけれども。
  与謝野晶子になりますと、日露戦争で、弟が戦地に出て行く時に「君死にたまふことなかれ」という有名な詩を作りました。そのなかで、これはかなり過激な内容でありますけれども、とにかく戦争は獣の道、で「すめらみことは戦におほみずからは出でまさね」つまり、天皇は、自らは戦争に行かないで、若者達に人を殺してこいと、彼はそんなふうにいうはずがない、こういうレトリックで反戦の意思表示をしています。この話は当時大問題にはなるんですけれども、結局は「女子供」の言うことだからと、不問に付されるというようなことでありました。結果的に日露戦争で日本は勝利する。この辺から日本は軍拡に向かってどんどんきてしまいまして、そして第二次世界大戦に突入することになります。
  若いみなさんと意見を交換しておりますと、なんであんな負けるに決まっているばかばかしい戦争をしたのかというのが、今の若い世代が共通して持っているアジア太平洋戦争に関しての認識です。で、これは犬養美智子さんという、国際派の評論家が書いていらっしゃることなんですが、最初フルブライト奨学金でアメリカに渡ったときに、アメリカに飛行機で入っていくと、行けども行けども限りなく続く、この広大なアメリカの大地にアメリカの力のすごさというものを実感した。そしてアメリカで実に多様な人に出会って、アメリカ社会の中に息づいている人権の力強さ、非常に人間的な美しさというようなものを実感されたということです。
  そういう中ではですね、実はちょっとあとでブッシュ大統領の話をしたいんで、ベトナム戦争の経験に学ぶことをしない、ブッシュのバカがとか言いながら、まああのちょっとこれはオフレコで・・・・もしかして・・・・まあいいでしょうね。むこうは権力者なんだから。
  平塚らいてふになりますと、戦後になってからではありますけれども、世界連邦政府構想を打ち出し、湯川秀樹さんとかですね、上代たのさんとかと7人委員会を作って世界連邦政府による平和への呼びかけをなさっています。平塚らいてふは、戦前から女性と子供の権利を強く主張した人なんでありますけれども、この方が言いたかったのは、力の文化から愛の文化へということでした。
  愛という言葉は今やおとしめられてしまって、手あかがついている感がありますけれども。もともと愛という言葉は日本の言葉にはなくて、西欧から新しい概念を輸入した明治の時代に作られた言葉でありますが、しかし、力ではなくてまさに愛の文化をどうやって創っていくのか、ということが平塚らいてふの終生のテーマとしてあったわけです。
  そして市川房枝さん、女性の参政権獲得のために一貫して実践的な活動をしてきた人でありますから、これまたみなさん非常によくご存じでありますけれども、女性が参政権を獲得した後に「女性よ権利の上に眠るな」という言葉を残して亡くなりました。最晩年、いつもそのことを市川房枝さんは繰り返していたということです。市川房枝さんをいろんな女性達の集まりにお招きして一言メッセージをとお願いすると4~5分の予定が、30分から40分にもなって主催者はいつも困ったということですけれども、たぶん市川房枝さんは次の世代の人達に、もっとしっかり考えてくれということを言いいたくて、話が長くなったんだと思います。
  確かに、話は長ければいいというものではありません。で、それで急いで3に行きたいと思うんですが、その前に、言いたいことがいくつかあったんです。再軍備論が出たのは、1950年代の初めぐらいだったと思いますね。朝鮮戦争が1950年6月25日に始まっていますけれども、そのころ経済が危機に瀕していた日本では、朝鮮戦争が起きたことが、低迷していた経済の起爆剤となり、その後経済的に上昇していくきっかけとなったというところから、このごろにたぶん再軍備論がしきりにいわれたと思います。
  女性達の声ということでいいますと、実は私より一回り年上の姉が、伊豆半島の田舎で暮らしております。私の里方はだいたい保守の伝統でありまして、たぶん今でも、自民党の戦力になっているところですから、里に帰ったら政治の話はしないことにしています。そういう中で暮らしている姉ですが、その姉がいつか電話をかけてきまして、ほんとに小泉さん怖いねと言いました。おうおういいこと言うじゃないと思ったんです。小泉さんより森さんの方がよっぽどましだったとも。私の姉は、すでに仏門に帰依しておりまして、それから和歌を作っております。で和歌の道のちょっと先輩の女性に、森鴎外のお孫さんという方がおられまして、この方がなかなかしっかりした方なんですけれども、いつもその方と、こういうことがあると電話で話し合うらしいんです。その方は、再軍備をすすめた中曽根首相がテレビに出てくると、スリッパを持ってきて、中曽根引っ込めといってテレビの画面をスリッパでたたいていた、そういう人だそうでありまして、その姉がつくづくそう言っていました。
  私の所は長兄がビルマで戦死しておりますし、次兄、今、家業を継いでおりますのも、戦争で片手をなくしているということもありますが、個人的な関心というよりもともかくとして、とにかく戦争することがあったらこれはもう女の沽券にかけてもですね、戦争を日本がすることがあってはならないと思い定めてきたわけなんです。その保守的な姉もですね、ついにイラクに派兵するとなってきたときに、もう絶対こういうことをしたらいけないということで、あ、今度の、総選挙あたりには、反対派の票が増えるかなあと思ったりしているところですけれども、つまりそれが普通の人の感覚だと思うのですね。
  で、まさに私たちが、人間として地球市民として生きていかなければならない時代に、日本人だ、何人だといって争うのは、本当に古い、時代錯誤だと思っているんです。今日、ここでの肩書きをどうするかという点でも、私は自殺予防の活動もしていますし、障害者福祉の活動もしていますし、高齢者の活動もしていますので、これまでは組織を守るために、こういうところに出てきて政治的な発言をするのはまずいという自己規制が働いていたのですが、もうそんなことを言っている場合じゃないという危機感で、今日は、ここに出てきています。そういう意味ではですね、まさに国境を超えて、地球市民としての自覚と行動、生き方が求められる時代だという認識を持っています。これは環境問題から言ってもそうです。そしてまさに持続可能な地球をどうやって私たちが守って次の世代に渡していくかということになりましたら、これは、明らかに世界のあり方、社会のあり方を含めていろんなシステムを変えていかなきゃいけない。こういうことなんですね。
  でまさにパラダイム転換。小賀先生の資料にパラダイム転換という言葉が出てきていますが考え方の枠組み、システムというものを、根底から覆していかなきゃならない。ひっくり返していかなきゃいけない。そうしないと地球の存続そのものが危ういんだということを申し上げたいと思います。
  でそこで、まさに憲法9条の価値と男女平等と最後に入れておきましたけれども、憲法9条は、ほんとうに私たちが誇りに思って守り抜くべきものです。もちろん憲法の他の条項、私の立場でいえば、20条からの、福祉とか男女平等もそうですが、とりわけこの憲法9条をいかに守り抜くか、そこに日本の女性の力量が問われているんだと思っています。
  1999年に男女平等参画社会基本法という法律が全会一致で国会を通りました。それからですね、なんでも男女共同参画ということになっておりまして、男女平等に反対するのは非国民みたいな、これまでのフェミニズムが、しばしば反体制として扱われてきたのが、どうも近頃は体制派になってきつつあるのではないかというひとつの危機感すら覚えているんですが。戦争になると、男女平等で戦争に参画しましょうとなるのはまっぴらごめんですが、でそういう意味ではですね、本当に普通の人が、普通の生活のなかで、普通に考えていることを、もっときっちりと社会に表明していかないと、これは非常に危険なことになっていくと思っています。
  男女平等は出発点であって、それ自体が目標、目的ではないのです。男女平等になるところから平和が始まる。平和を希求する思いが一層強くなることによって、道が開けていく。もちろん思いだけではなく、理論的構築が必要ではありますけれども。とにかく戦争は困る、いやだというこの一点張りでいく。そのことが最も強い力を生むのではないかと考えています。
  かつての度重なる戦争で息子や夫や恋人を空しく戦場に送らなければならなかった女性達だが、今や選挙権を持つからこそ、戦争反対に立ち上がらなければ、という決意をこめた歌が朝日歌壇だったと思うんですが、道浦素子さん。道浦素子さんというのは、全共闘世代の歌人でありますけれども、その方が選者として選んだ歌のなかに、あったんです。その切り抜きを今日持って来ようと思って探したんですが、結局見つからないままだったんですけれども、「今度戦争が起こるようなことがあったら、女達は声を上げて、体を張って戦争を防止しなきゃいけない。戦争に反対したために、たとえ日本中の牢屋という牢屋が女で満ちあふれようとも。」そういう歌を詠んだ方がありました。
  有事関連法案、その前のPKOの時からもうすでにきな臭かったんでありますけれども、押しては返す波のように、国民が絶対それはいやだといえば、ちょっと引っ込めますけれども、今のような形で、なし崩しに物事が通過していってしまう。これほんとに恐ろしいことだと思います。普通の人が、普通のところで、いろんなところで、普通にですね、ほんとに戦争はこりごり、いやです、と言いつのらなければいけない。
  戦争に変わる手法としては、外交にもっと力を入れるとか、あるいは青年海外協力隊とか何でもいいんですけれども、そういう意味で、それぞれの国の身の丈にあった方法がいろいろと考えられるのではないでしょうか。これまでの日本のODAの仕組みではかなりが利益還元型です。かなり、日本に戻ってくるような仕組みで作られてまして、ある意味で第三世界の人々、開発途上国の人々は、まあいってみれば、利用されているようなこのODAのあり方、これを含めてやはり政治そのものの、特に支出、どのようにお金が使われているのか、ということにしっかり関心を持っていかなければいけないと思います。
  紀元前445年頃に生まれました、古代ギリシャでアリストファネスという喜劇作者がおりますけれども、彼がスパルタとの闘い、あるいはシチリアへの遠征なんかで、非常に社会が疲弊して、戦争はもう真平だというアテネ市民の声を代表する形で『女の平和』という喜劇を作りました。その芝居の中で女の人たちはどうしたかというと、アクロポリスに立て籠もって、全ギリシャ女性の代表として平和を呼びかけあらゆる性を拒否するわけです。それで男達はついにまいって戦いをやめる、というようなこともございまして、まあ手法としてはいろいろあると思いますが、とにかく女性の力を、女性だけではないんですけれども、特に女性が基本的なところで力を蓄えて心ある男性とも連帯していかなければと考えております。あの話があちこちになりまして、わかりにくくなったかも知れませんが、以上で終わります。


【三輪俊和】

  ありがとうございます。すばらしい報告でした。三人のお話は、ほとばしる思いと知識で、もっと言いたいという感じだったですが。今から皆さんにも討論に参加して頂こうというように思います。
  共通して、本当に普通の人が、このネットワークも含めてそうなんですが、普通で考えて、まとまっていこうという点では、三人のお話は共通しているんではないかと思いますが。どうぞご意見、あるいは討論に参加して頂いて。

【冨安兆子】

  今の小賀先生のお話に、異議を申し立てるわけじゃないんですけれども介護保険に関してちょっと言いたいことがあるんです。介護保険が全部悪かというと、私は実は、やっぱり小賀先生は男だなあと思つてしまいました。親御さんの介護に関して、ご自分が直接、日常的に手を、体を使ってなさったことがあるのかなあと。介護保険は、女性を介護地獄から解放して、その力をもっと社会的に役立てるということのために、いわゆる社会的介護のための一つの手法といいましょうか、そういう形で特に女性達が要望したんだと言えると思います。
  現実の介護保険は実際に問題があるわけですし、問題があることはわかっていますけれども、いわゆる措置という形でずっとやって来て、その社会的な介護が、お上の恩恵ではあっても権利として、国民のものにはならなかったという、そういう認識があります。つまり私が言いたいのは、細かいところでは意見がいろいろ違うんだけれど、戦争は絶対に困る、どうやって戦争を阻止するかというところでは、ちゃんと一列に並びましょうと、そういうことを言いたかったのです。

【三輪俊和】
  よくわかりました。どうぞそれぞれの思いをご発言なさってください。憲法を守るということでホームページをつくり市民に呼びかけていらっしゃる前原先生、一言どうですか。

【会場から】

  いやあ、三輪先生からご指名頂いてしまいました。とても尊敬する先生ですから、何かお話しさせたいという感じでしょうが、三輪先生が恥をかくことになると思いますよ。
  私、先ほどのお話聞いて冨安先生のご意見に、もっとも共鳴したものの一人です。この中で、もとはといえば何か敵の回し者じゃないかと思われるような感じですが。私も、かつて自民党では最も過激な反共産党の闘士でした。だけど20何年前に、離党したときの原因は、私の理想としていたのは自民党でなかったということですね。でいつの間にやらですね吉野先生の時から、最も過激なこの陣営の一人になってしまいました。
  で、三輪先生がですね、ほんとこの先生は、競馬の調教師なら弟子になりたい。私、完全に今、三輪先生の配下のなかでかけずり回っています。で、冨安先生、先ほど、監獄が女性でいっぱいになるとおっしゃった。私も大賛成です。一緒に監獄にはいりましょう。だけどみなさんに言いたいんです。私は、ここに来ていつも違和感を感じるのは、こんなにおとなしい、まじめな人達ばかりの集まりで、現在の少数のこの現状でですね、変えることができるんだろうか。そして、ここに私の最も尊敬する本荘先生いらっしゃいます。一週間に一回電話いただきます。わたしがせっかちなもんだから先生がゆっくり、ゆっくりとおっしゃる。だけど80何歳の方が、ゆっくりしてたらですね、私も同僚もほとんど死にかかっているんですからね。だけど80何歳の方が、ゆっくりと言ってたら、私はどうなるんだろう。恵まれている。健和会の名医である馬渡先生がここにいらっしゃる。総婦長もいらっしゃる。ここでも、もうあと、寿命は短いと保証は付いているんです。保証付きの今、人間がね、もう糖尿病でほとんど目は見えません。手足もしびれています。あとは人工透析もあります。だからですね、早くして頂きたい。現実的な行動をして頂きたいんですよね。もうやめます。三輪先生。はい。それでお願いがあります。今、私いっぺんも欠かさず、毎日、毎日戸畑を訪ねております。1日も欠かさず毎日。そうしてパソコン談話室という、三輪先生のおかげでホームページも立ち上げて、健和病院のご理解をいただきまして、パソコン談話室っていうのを、この4月1日に始めました。なぜかといいますと、この今のIT社会の中で、みなさんホームページを、立派な先生方ホームページ持ってますね。だけどあれは何のためにホームページ作っているか、見てもらわなきゃですね、見てもらわなきゃ芸のないホームページ作って、そして見る人を育てない。
  それで私、どこでも市長にも誰にでも、もうすぐ会いに行きますよ。で、北九州くらい無駄な行政をやっているところはなくて、パソコンでもですね、6年の物、6年というのは、今、ゴミでも金がいるんですよね。回収するのに。たったの200万の金が出せない。500億の無駄なモノレールとか、いろんなものに使っているんですよね。
  だからぜひお願いしたいんですよ。ホームページを見てください。私も毎日書いていますし。パソコン談話室のホームページもすぐにできます。それを見て頂いて、そして皆さんが書き込んで頂いて、そして先生方も一般市民が何を考えているか、平和を守るとか、憲法に反対するひとなんて1人もいないくらい、ご婦人の方はみんな賛成なんですよ。
  それなのに選挙があったら、いつもこちら側は少ないですね。この現状をですね、何か変えて、そして実践行動をですね、選挙がいくらあっても足りないような実践行動を、実際に冨安先生監獄に一緒に入りましょうよ。よろしくお願いいたします。

【三輪俊和】
  ありがとうございました。どんなふうにして運動を進めていくかということですが。どうぞ他にご意見ございますか。

【会場から】
  えーと今日は、私は26年看護師をしている、北九州市民としてということで参加したんですけど、私も冨安先生のお話で、学び、考え、行動することだっていう、まあ実践的かどうかわかりませんけれど、死ぬまで成長できるし、やっぱりそう意気込みで頑張っていきたいなと思って戸畑健和の方で、働きながらいろんなことを、考えたり、行動したりしている一人の人間として参加させてもらいました。そうですね、いろんなことがあるんですけれど、あの、憲法が本当に身近に感じるようになったなあというのは、私、一応現場の人間ですから、介護保険の登場と、医療改悪ということで、小泉さんはほんとに痛み痛みということで、痛みは我慢してもらわなければいけないっていいますけど、やっぱり苦痛を緩和するそういう患者さん達を相手にしているなかで、どれだけ痛みをですね、我慢させられるかというところでは、やっぱり 黙っておったら本当に殺される時代だなと思います。
  で、特に9条と25条というのがですね、ま、私たちが属している、民主的な医療機関の中でも、特に注目されてましてですね、命守ろうって言っても、ほんとにいい医療やろうと思っても平和な世界でないと、社会じゃないと、その保証ができないというなかで、特に9条、25条ですね。病院でちょっと学習会っていうか、仲間集めてイラク派兵のことについての討議集会をいたしました。あの去年、ケーキとコーヒーで誘ってですね。でまあ、30人くらい組織して、話したんですけれど、9条、25条知らないっていう職員、まあ介護や看護の職員でですね、あの、ちょっと目が点になったんだけど、これが現実なんだなと。
  うちの娘が、今度高校一年生になるんですけれど、おかげさまで教育現場ですごく、まあ革新的な先生だと思うんですけれども、おかあさんの方はあのー授業が5日制になって短くなりましたから、きちんと教えてくれないっていうことをぼやいていたんですけれど、おかげさまで、今のその先生がですね、今のイラク派兵のこととか憲法のこととか、いろんな事について触れながら、教育者としての立場があるから、公平というところで、色々限界があるんでしょうけれども、やっぱりメッセージを送っているのが、娘の話を聞いているとなんかわかるんですね。そういうやっぱり、大学教授もそうでしょうけれど、教育者もどんどん作ってほしいなという気もしてますが。
  ま、ちょっと話が飛びましたけど、私はそういう中で、今、ほんとに小賀先生、植木先生がふれられたところの、特に25条のところの私、生存権っていうのですかね、患者様達の権利とか、いろんなことを保証してくれてるけれども、特に私は社会保障制度の改悪っていうことが、ほんとにされているなかで、ま、命を守るためには平和じゃないといけないということで、今日は、この集会に参加しましたけれども、私たち医療人としても、それからいろんな北九州のなかでも、やはり税金というのをね、納税の義務があるっていっておきながら、私たちが使って欲しいような、そういう使い道になっていないというところも含めてですね、憲法を守りながらですけれども、本当に豊かで一人一人が生きてて良かったという、やっぱり社会にしていきたいって思うんですよね。
  残り何年って、それぞれ皆様の人生はそれぞれでしょうけれども、やはり生き生きと本当に、平和で子供達にやっぱり青い空を残していきたいしですね、私は看護者として患者様に、お金のこととか、今、あの介護保険のこと出ましたけれど、確かにいい制度ではあるんですけれども、負担のところでは、いろんな医療も、介護も含めて払えない人がですね、負担増のところで、やはり利用できない人がいるという矛盾がおきていることも現場の中ではあってます。
  多岐にわたりますけど、やっぱり憲法にうたわれている精神というところでですね、平和憲法では社会保障というのはやっぱり国の責任と資本家の応能な負担で、やはり安心して、もっともっと充実っていうかですね、させていかないと豊かな、対市民生活というのは充実できないと思うので、ま、いろんな取り組みに参加していきたいと思いますし、そういう後継者を作っていかないと、安心した老後を送れなくなるなって痛感して参加しました、以上です。

【三輪俊和】
  小賀さん、社会保障や介護制度についてどうしたらいいかっていうのを・・・どうぞ。

【小賀 久 北九州大学・社会福祉】



  あの、ちょっと先ほど冨安先生から、異議がありました。私自身は介護を社会的に取り組んでいくっていうことについても、これは絶対必要だと思っているんです。ただし、現行介護保険についてはこれ、絶対反対だったんです。だったというのは、その介護保険が始まって以降も反対だって言ってもしょうがないから、これはやっぱりいいものにしていこうという、そういう姿勢、スタンスなんですね。
  こうしたその介護保険だとか障害者分野でいうと、支援制度とかっていうあらたな、その政策が投入されてくる背景には、やっぱりさっきもいったように、国はですね、あくまでこの25条の生存権規定を骨抜きにしていくっていう、そのこと一点のために、やっぱり、どんどん国民の生存権を奪う深刻な状況になっていくんですね。ですから、その悪いところはいっぱいあるというのは当然のことだというふうに思っているんです。
  私自身は、最近、男だ、男だといわれるのは、もういいかげんにしてほしい。主婦の婦は夫であるというふうに考えておりますし、子供はもう小さい時から、それこそ、おむつを替える、それから私は一貫して、今でもそうですけれども、結婚以来、ま、独身の時でもそうですが、一番朝起きて最初にする仕事は洗濯です。1日二回することもある。仕事をするのは夜10時以降の子供が寝てからです。
  私的なことですが、大きなきっかけは、父親が癌で、ま、死んで、死ぬ前、私長崎にいましたので、その土日のたんびに田川に戻ってきて、その病院に泊まり込んで。ま、その時だけは母親を解放したかったので、あの死ぬまでは何遍か続けましたし、で、今母親は要介護の1で、まあ母親の死に水をくんでやりたいと思って同居をしている、という覚悟はあっての上での社会福祉なんです。
  で、その、ただまあ、いろんなこう議論の違いは、冨安先生いわれるように、あったとしても、その大同団結していくっていう意味ではですね、とっても今重要なことだし、そういうふうにおっしゃっていただいて何ていうか心強いというふうに思っているんですね。
  でその、今ですね、その社会福祉をほんとうに、その住民のために、国民のために押し戻していくということを考えていくには、それぞれの自治体でですね、やはりいいたいことをしっかり言っていく。これまではですね。最終的な責任を国が持っていたというようないきさつがあるので、市町村とか、都道府県に文句言っても、国が、というふうに全部言い逃れされてたんです。で、ところが今は、福祉の制度、ほとんど市町村に一元化をされています。だから、国が、というふうな言い逃れはなかなかできにくい状況が一方では作られていて、この住民生活を守るっていうことでは例えば北九州は、北九州としての責任を徹底して問われるという時代にもう入っています。
  だからこそですね、8頁にもちょっと書いているんですけれども、かなりのところで、行政といかに、これは、なあなあでやるんではなく、共闘できるところは、ちゃんと共闘していけるのかといったようなことも含めて、その、課題を考えていかなければいけないんではないかというふうに思います。ちょっと長くなりました。

【三輪俊和】
  はい、ありがとうございました。えー、全体がですね、大変な時代になってきたというのは共通の思いで、こんなふうに大同団結しようという準備の会ができたわけなんですね。今、あのいろいろ意見聞いていて、今の学生も、もうひとつやとか、あるいは9条の見方も違うとかいわれるなかでどうしていこうということなのですが、どうでしょうか。

【会場から】
  吉田と申します。八幡西区に住んでおります。それで、北九州市と中間市が合併するということで、私が考えるのに、中間市だけが住民投票するというのではなくて、北九州市も住民投票で意思を確認すべきではないかと思うわけです。
  で、ちょっと何人か他の人に、小倉北区の方に話しましたら、西区の方と、こっちの方では温度差が違うというふうなこともいわれましたけれども、私、市民オンブズマンの仕事もしているんですが、あの上脇先生が、憲法のことで話をされたときに憲法を守るということは、日常のというか、足もとのところからやっぱりきちっと守っていかなければいけないというふうに言われまして、これなんかもやっぱり、市民が、合併してどれだけのメリットがあり、あるかというようなことも全然知らされないで、もう議会の方で一方的に進むというのも、ちょっとやっぱり、おかしいんじゃないかと。それをこういうところで言っていいのかどうかと思っているんですけれども、ちょっと、その問題どうでしょうか。

【三輪俊和】
  はい、わかりました。他に・・どうぞ。

【会場から】
  すいません。あの、今日の集会参加して、呼びかけの趣旨の、大体、参考できたんですけど、ま、一般的には、ほとんどのかたが、いわゆる無関心というのですかね、やっぱり、私たちのこの運動というのは、やっぱりわかりやすく、こう、なんて言うんですかね。キャッチコピーじゃないけど、本当にわかりやすいものを提供しないと、なんかあれは革新系がやりよるんだな、みたいな雰囲気というのは良くない。それとひとつ言いたいんですが、今、介護保険とかいろいろなことがあるんですが、年金の問題で、この前年金のことで、私ちょっと社会保険事務所に行ったら、ま、驚くほど少ないと。年齢は50代、60代とすすむが、50代の人の初めの人は結局年金が、65才でもらえるかどうかわからない、いわゆる生存権そのものが危うくなっている方向になっているわけですね。
  やっぱり、飯が食えない状況、年取って飯が食えない状況、悲惨な状況が、今、国が用意してきているという問題点あるわけですね。で、その問題も確かに大変なんですけど、年金とかいろんな問題で、一部のものしか食えないという状況というのは、これは、オーバーな言い方じゃなくて、本当に例えば、35年、40年勤めた人が、年金が20万くらいですね。普通、元気なときは30万、40万の生活をしとった人が、何も子供の養育費とか、いらないにしてもですよ、ほんとに生活ができるのかということを、そういうことに対して、怒るメッセージを、やっぱり私たちの方から、提供する必要があると思います。
  で、韓国の選挙じゃないんですけど、やっぱり、インターネットを利用して、今の大統領を弾劾することに対して、やっぱり一市民がずーっとこう批判していくという、そういった韓国型の、こうやっぱり市民参加というんですかね、そういったものも私たち、追求していく必要があるんじゃないかと思いまして発言しました。

【三輪俊和】
  はい。ありがとうございました。多くの人たちに対してはですね、確かにわかりやすくということと、それから何度も出ていますが、インターネットを利用していくというようなことですね、そういうことも含めて私たちは、考えていくべきだという提言で、そのとおりだと思うんです。はい、どうぞ。

【会場から】
  え、竹内といいます。中野先生に誘われて、無理やり誘われてきました。来て良かったなと思います。もっとやっぱり、これからの運動は、無理やりに人を誘うということをやるべきです。私も大学のなかで、メールというのをしていますが、中野先生は、今日の集会のメールを全員に送っていました。これは、大変、睨まれても平気な先生なんですね。先生には、そういう行動っていうか、姿勢が大切じゃないかと思います。
  今、私も皆さんのいろんな意見を聞いて、あー、私も黙っていてはダメなんだなあと思って、新参者なんですけれども、意見と質問をしたいと思います。あの、今の意見に挑発されて、今、私手を挙げてしまったんですけれども、今、保険が中心で、年金ということが問題になっていますね。で、私が普段感じていること、最近、感じていること。年金、保険料払っていない人が、4割ぐらいいる。これは大変なことですね。もう、日本の年金制度信用していないという感じですね。ついでにいうと、私も年金保険料払ってません。だって、そんなに守ってくれると思わないんです。
  そこで考えるのは、次の質問ですが、小賀先生に対する質問なんですけれども、生活保護の重要性っていうのが、私感じているのに、保険、保険ということで、年金保険に入っていないと老後が守られない。だけど、生活保護制度ってのが、生存権の中心だと私思うんですね。憲法25条、だって保険料出せない人が年金保険にあずかれない、守られるはずがない。そういうことを考えて、私の最近感じていること、母親が民生委員やってまして、以前は生活保護者を探して福祉事務所まで行ってもらうようなことを、民生委員やってました。それがしばらくたって、20年くらい前ですかね、今度は探すんじゃなくて、生活保護を受けている人が、収入もらったら早く自立しなさいよ、自立できないで、少しくらい病気してても、少し働いたらどうですかとか、親戚で誰か収入持ちとかいないのかって、いうようなことをやるようになりました。これ、予算がないからですね。
  統計を見ると、北九州だって生活保護者かなり減っています。失業者が増えてても、生活保護者の数は減っています。そして年金保険だとかいうけど、保険料出さない人、例えば失業者、増えています。そしたら生存権っていうのは、保険だとかいう前に、生活保護、戦後できましたね。これをこれからも増やしていくということが大事じゃないかなあと思います。
  そこで、国の責任ってさきほど小賀先生言われて、私と同じ考えじゃないかなあと思うんですけれども、あの保険の話しか、お話しされなかったんですけれど、やはり、保険料出せないような、母子家庭とか、障害者とか、けがをした人、生活保護受けている人の、半分くらいは生活保護受ける理由の半分くらいが事故、そうです障害者になった人の多くの人が交通事故とかいう人がかなり増えています。
  そういうことで、保険も大事だけど、生活保障の中心は、社会保障の中心は、生存権の中心は、生活保護、だと思います。先生のデスクの資料の9頁の、一番下にある、福祉その他で増えないで、特に減っているのは、生活保護のようです。そのへんについて、たぶん私と同じ意見と思うんですけど、そしたら、今後社会保障守る運動、あるいは生存権についても、今、生活保護が減らされている。なんかテレビを持ってたら、それを売るのが先でしょうとか、生活保護受けたいんだったら、テレビ売りなさいとか、最近でいうと高校受けるために、貯金をしてたらそれはだめだっていう、今年の話ですがね、そういうことが目につきます。

【三輪俊和】
  はい。どうもありがとうございます。予定している90分が近づいてまいりました。大変すばらしい意見を聞かさせて頂きましたが、最後に、会場からの質問への回答も含め、各パネリストから、感想とまとめの発言をしていただきたいと思います。

【植木淳】
  みなさんの御意見をうかがって、私からはほとんど話すことはありません。ただ、一言だけ申し上げますと、私は大学で憲法を講じていて、ゼミの学生とも話をするので、現在の学生気質は解っているつもりです。この点、私は、冨安先生とは感覚が異なるのですが、今の学生・若い人たちの知性、理解力あるいは感覚を信じています。つまり、例えば、日本の若者の多くにとっては、外国に行って人を殺したり殺されたりすることについての嫌悪感、暴力的なものに対する嫌悪感は相当強いと考えています。あるいは、人権についての感覚も、ある意味で大人達よりも、しっかりしていると思います。したがって、先ほど、どなたかがおっしゃったように、わかりやすい具体的なメッセージさえ発すれば、今の若い人たちの多くは理解してくれると思っています。従って、このような運動が、そのような普段は憲法に関心を持たない人たちに訴えかけられるような、具体性のあるものにしていく必要があるのではないかと感じています。

【小賀久】
  まず、今のことと関連して、学生はっていわれると、僕の場合反省しています。というのはですね、うちの子の、子育てもそうなんですけれども、子供が子供らしく育っていない時代というのは、大人が実は大人として育っていないんだというふうに思っているんです。だから、例えば、うちの大学の学生が、学生として育っていない、あるいは育ちきれていないとしたら、それは、教員が教員として、どういう仕事をしているんだろうかというように、ついつい反省をしています。そのあたりは、教員がちゃんと頑張って育っていかなければいけないなというふうに解釈をするところです。
  さきほどの生活保護の問題ですけれども、全くおっしゃるとおりで、やっぱり憲法25条の根幹は、生活保護法にあって、そして、この生活保護が、例えば、私が今生活をしている川崎町ではですね、炭坑の閉山が相次いで以降、今現在も、日本一生活保護率の高い町なんです。ちょうど20年ほど前の1980年くらいの頃はですね、なんと280から90パーミル、パーセンテージでいうと28パーセント前後ぐらいですね。つまり3軒に一軒が何と生活保護を受けていた、という状況があってですね、これが6年ほど前になりましたら、なんと170数パーミル、あの17.何パーセントくらいっていうところまで激減しているんです。
  これはバブルがはじけて、もうどこの家でも大変だ、大変だといわれている時期ですね。にもかかわらず、生活保護世帯が少なくなっているっていうのは、これは生活保護行政の本格的に経済的的弱者を切り捨てていっているということなんです。つまり、こういう側面から、今日は報告では、中心に出しませんでしたけれども、25条がほんとに切り刻まれているということ、全くそのとおりで、先ほどご発言ありました先生が、年金かかっていないということでもし生活保護受けなければいけないような状況になれば、これはもう裁判でもかけながら、ぜひ生活保護受けられるような、そういう権利として、そのなんていうか、生活保護の25条を打ち立てていかなければいけないんだろうというふうに思います。
  そういう意味でも、やっぱり今、先ほどの報告の中にありましたけれども、本当に平和な状況というのは、戦争がないという状態をもってのみ、いうのではなく、その国なり、地域なり、生活をしている人たちが、人として本当に大切にされながら生きているのか、ここまで問わないとやっぱり平和ということを、追求しきれないんじゃないかというふうに思っているところです。以上です。

【冨安兆子】
  はじめに、この集会について全体で90分とお聞きしたときに、これは、あまりやる気がないのではと私は思ってしまいました。短い時間でばたばたっと言いますと、やっぱり誤解を生じますね。で、本当はもうちょっと時間をかけて、するべき集会ではなかったのかなあと。実は私も呼びかけ人の一人に最終的には組み込まれておりますから、何がしかは私の責任でもあるわけで、それなりの責任は感じておりますけれども、やっぱり、お互いにきちんと話をしていかなければいけないと思っております。
  例えば先ほど触れた学生さんのことにしても、十把一絡げにいうつもりはありませんで、学生もほんとにいろいろです。男もいろいろです。女もいろいろです。で、女なら本当に真剣に考えて戦争に反対するかと言うと、そうとも限ったものでもありませんね。現時点での閣僚の様子を見ても、その辺はよくわかりますから本当に十把一絡げで言うのは良くない。ただ、学生に限りませんが、若い人たちに子供の時からきちんと物事を教えていくというところで、私たち大人は、ちょっと手抜きをしていたのではという気がします。
  具体的にわかるように、つまり事を分けて説明していくということが、日常の生活の中で、食卓で、なされなければいけないと思うのです。
  例えばですね、学生の中に、これは北九大でなくて、下関のことなんですが、例えば小林よしのりなんかの本に、はまっている人がいて、で、私が講義をした後10分から8分くらい時間をとって、必ずコメントを書いてもらっています。で、数百人分のコメントを読まなきゃならない、これ大変なんですが、若い世代の考えが実によくわかります。それを読んでいますと、普通の国になることが大事じゃないかと書く学生がいます。で、普通の国というのはどういうことかっていうと、国土があって、国民がいて、そして軍隊があるということ、それで守るんだと。ま、そういう意味でいえばですね、逆説的ではありますけれども軍隊がないからこそ守れるものがあるんだよってことを伝えていかなければならない。日本の憲法9条が持っている価値、これが21世紀の後半になれば、世界共通の理念になると思います。
  それは、ちょうど今から百数十年前、日本の国内では戦争していて、長州藩が小倉藩とやり合ったりしていたという、今から見れば、いかにナンセンスかということがわかるようにですね、後まあ30年か50年経ったときには、地球の中で戦争しあっていたなんていかにおろかな、ばかなことをやってきたんだというふうに、しかし一方で人間は馬鹿なことをし続けるのかも知れませんが、それをどれだけ未然に阻止するか、というところで、私たちの力量が問われていると思います。アメリカでも今イラク戦争にかり出されている世代の人たちというのは貧しくて、そして、他のところで自分の能力を発揮することができなかった人たちが多いのだが、体も、心も傷ついて、もう二度といやだというふうになったときに、だから日本人が、その後を補完する形で、引っ張り出されているんじゃないですかと、説明していくと、あ、なるほどと、ま、わかってくれるわけですね。
  かって、アイゼンハワー大統領が、大統領を辞めるときに、産・軍、それから政府との癒着、これをどうにかしないとアメリカは大変なことになるという意味のことを、彼は軍人だったにもかかわらず、言い残しています。この言葉は、今現実のものになっています。
  ブッシュ大統領は、アメリカの原理主義というキリスト教の中でも最も保守的な人たちと、それから、石油産業を後ろに抱えていて、その人達の意見から自由になることはできない。これは、お父さんのブッシュの時もそうでした。父親のほうのブッシュ大統領は、平和を愛する厳格なクゥエーカー教徒である母親から育てられて、アメリカの中では、弱虫ブッシュ、弱虫ブッシュとからかわれていた人ですから、湾岸戦争をすることによって、弱虫ブッシュといわれることから、抜け出そうとしたのと同時に、あれは明らかにアメリカ軍需産業の在庫一掃だったんですね。在庫一掃のために、また今度もそうですけれども、私たちの国が、付き合わされてはいけないと思っています。
  この間あるデパートの通信販売を見ていましたら、自衛隊の帽子が今非常に人気で、子供向けにその自衛隊の帽子のようなデザインのものが出ていました。こんなふうに生活の中にじわじわと戦争を容認するような、もちろん、自衛隊は戦力じゃないと小泉さんは言っていますけれども、ああいうまやかしが通るから、実は若い人たちが、大人の世界を信用しないということも含めてですね、まやかしをまやかしのままにしておくということは、もしそれに声をあげなければ私自身もそのまやかしをしている一員なんだという厳しい目で自分を見なければと思っています。
  犬養美智子さんは、ペルソナ、個人ということを言ってますが、個人が個人としてきっちりと、しっかりとした考えと行動を示すということ、そのことによってしか本当の意味で国を立て直す方法はないと。私もこの考えに大賛成ですが、まさに個人が個人を大切にしていく。しかし、自分のことだけで良しとするのではなくて、周りの人たちと連帯しながら、健康な地球を次の世代の人たちのために残していく。これは、大同団結をしないでいられない、最も重要な点だろうと思っています。戦争は最大の環境破壊でもありますから。

【三輪俊和】
  ありがとうございました。すばらしいシンポジウムができたのではないかと思います。シンポジウムで、共通項として訴えるところは、『軍隊がなくても、あるいは軍隊がないから豊かなくらしができる』ということです。そして皆さんから出していただきました、運動論としての共通項は、学生や普通に生活している人々の感覚を信じようということ、そして、もっと大胆に訴えていこうとではないかということ、そして訴え方にあたってはわかりやすく、具体的な話で賛同を広めていくこと、さらにインターネットをもっと活用していこうということが確認できたのではないかと思います。みなさんどうもありがとうございました。頑張っていきましょう。

【司会】
  それではまとめに移ります。このネットワーク結成の経過と、これからの取り組みの報告を結成準備会事務局の宗久さんからよろしくお願いします。

【準備会事務局/宗久友明】


  それでは、私の方から、準備会を代表して訴えをさせていただきたいと思います。本日のシンポジウムには、たくさん参加していただきまして、本当にありがとうございました。
  皆さんもご存じのように、小泉内閣は、アメリカの言いなりになって、戦後はじめて武装した自衛隊をイラクに派遣しました。そして、こともあろうに国際貢献を口実にして、憲法改悪に突き進もうとしております。こうした情勢の緊迫の中で、私たちは北九州革新懇の呼びかけに応えて、思想信条、立場の違いを越えて、文字通り憲法改悪反対の一点で、少なくとも市民の過半数が、憲法改悪に反対するような大きな闘いをしようということで、仮称ですけれども「憲法を守り平和で豊かなくらしを求める北九州市民ネットワーク」を目指してきました。そのための今日はシンポジウムを開催しました。
  この間、私たちは今年になってから、このネットワークを立ち上げようということで、準備のための会議、または打ち合わせや、作業のための会議、合わせて8回、今年になって開催をしてきました。そして、ネットワークの準備会を、実は本日結成しようという動きも、考えもありまたけれども、より広大でより深い共同闘争を発展させるためには、もっともっと賛同者を増やして、準備会は今年の夏から秋にかけて、正式に結成しようということで準備をしていくことになりました。
  参加者の皆さん、本日は市民運動の方から、一般市民の皆さんの方も含めて、幅広く参加をいただきました。本日を新たな出発点として、憲法改悪反対の一点での取り組みを一層強めて、ネットワーク結成の賛同者を広く組織していきたいと思います。今日、参加者の皆さんには、賛同署名を渡していると思いますが、まだ、賛同署名をされていない方は、今日帰りがけにでも書いて事務局の方に出していただくようにお願いをします。
  最後に、それでは当面、何をするかということで訴えさせていただきたいと思います。まず第一に、憲法改悪反対の署名、この署名を文字通りこの北九州で、市民の過半数を超えるだけの署名を集めるというふうに取り組みたいと思います。そして署名が、どこまでいったかカウントダウンをして皆さん方にたえず、どこまできているということは知らせるようにしたいというふうに思っております。
  二つ目に、宣伝も激励も必要ですので、この準備会の中に、ワッペン委員会を作って、ワッペンのデザインを公募しまして、審査して、ワッペンを作りたいと思います。そして文字どおり町ゆく人、車にもつけている人、あの人もこの人も、あの車にも、憲法改悪反対のワッペンがついていると、そして私たちの意思表示を市民に広く伝えていきたいということで、ワッペン委員会を作って、ワッペンを作りたいと思っていますので、応募をよろしくお願いしたいと思います。
  三つ目に、「憲法を守り、平和で豊かなくらしを求める」このネットワーク、先ほど三輪先生からも、ありましたけれども、このネットワークのホームページを開設したいと思います。今から準備してできるだけ早くホームページを開設します。
  四つ目に、これも今からの企画ですけれども、新聞広告を、意見広告を組織します。ちょっと聞いてみましたら、毎日新聞の一紙だけで夕刊だったら、20万円そこらで1ページできます。憲法改悪反対の意見広告を組織します。これへの協力もお願いします。
  それから、文字どおり、この運動は今日から出発でありますので、特別、財政はありません。この運動の財政は、基本的には、皆さん方にカンパを訴えて、その募金でまかなっていきたいと基本的には考えております。本日お帰りには、受付でカンパ箱を用意しておりますので、ひとつぜひこれからの運動のためによろしくお願いしたいと思います。
  それから最後に、この運動とネットワークの、これからの体制についてです。これまで準備会の座長を、三輪先生にお願いしてきました。引き続いて、三輪先生にこの準備会の運営の座長を、お願いしたいと思います。それから事務局を設けて、日常的な運動を保証したいと思います。事務局は当面、北九州革新懇から2人、それから憲法改悪の気持ちを同じくする人たちから2人、それから有事法制阻止・憲法を守る北九州の会から1人、北九州平和委員会から1人、宗教者から1人、女性から1人、青年・大学生から1人、その他必要に応じて事務局への、派遣をお願いします。それから事務所ですけれども、事務所については、このネットワーク作りの準備をしつつ、近い将来に独自の事務所を開設することを目指したいと思います。その事務所ができるまでは、当面の連絡先として、黒崎合同法律事務所に相談をしております。黒崎合同法律事務所は住所と電話番号は、今日皆さん方に、お配りの資料の一番最後に書いております。ここにお願いをしてですね、さしあたりの連絡場所としたいというように思っております。
  文字どおり、冒頭申し上げましたように、まさに思想信条、すべての立場の違いを乗り越えて、憲法改悪反対の一点で、ほんとに力強い、広大な戦線を築いていくために今日を出発点にしたいと思いす。

【司会】
  ありがとうございました。では閉会あいさつに移ります。

【会場から】
  ちょっといいですか。呼びかけ人に聞きたいんですが。憲法というのは本来、時の権力者が守るべきものですね。私たち国民から言わしたら、憲法は守られるものであると、それでね、ここで呼びかけ文章のなかにも憲法を守るにさきがけて、3回「憲法を守る」ってなっています。そこで「守る」の論議含めて、今後検討していく一番の基本の問題なだと思っていますのでぜひよろしくお願いします。

【三輪俊和】
  検討させていただきます。

【司会】
  よろしいでしょうか。閉会あいさつに移ります。内田茂雄弁護士からよろしくお願いします。

【閉会あいさつ・弁護士/内田茂雄】


弁護士の内田さん

  呼びかけ人の1人でございます、弁護士の内田でございます。えー、ま、憲法を守るというには、やはり二つの視点があると思うんです。一つは現行憲法をきっちり守らせる。その視点がやっぱり大事だろうと思います。もう一つは今、憲法を改悪しようという、そういう試みがございます。この改悪を当然阻止しなければならないという、そういう視点が一つあろうかと思います。先ほどもお話の中に、普通の国になりたいという、つまり軍隊を持って、世界と同じような歩調をとりたいというような考え方を持っている人が、だんだん増えてきているということでありますが、かつて日本は、明治憲法の中で、軍隊を持っていたわけであります。私の父親はですね、1900年生まれでございましたから文字通り、明治憲法と共に歩んできた人間であります。その父親は、どういう事を強いられてきたかと申しますと、大正9年に、シベリア出兵というのがありましてね、私の父親は現役の兵隊で、そのシベリア出兵に行ったということがございます。昭和12年に、日中戦争がありまして、そういたしますと直ちに招集がまいりました。そして、まあ、北支戦線を転戦して山を下りてかえってまいりましたが、けっして職業軍人ではなくて、1人の一商人でしかなかったわけでありますが、二度そういうふうに戦争の経験をいたしました。そして、軍人としてではありませんが、また、戦争末期にですね、シンガポールの方に用事がありまして、そのシンガポールに行く途中にですね、沖縄に立ち寄ったわけです。で、沖縄に立ち寄っているときに、米軍が慶良間列島に上陸をして、結局、沖縄戦に巻き込まれると、いうようなことで、ま、ひめゆり部隊の人たちなんかと一緒に洞窟で、終戦を迎えるというような経験をしております。したがって戦争というものが、どんなものなのかということはもう体中で経験をしているわけでありまして、また軍隊というのが、国民を本当に守ってくれるのかというと、決して国民を守るわけではありません。一般市民というのは、戦争の邪魔でこそあれ、国民を守るというような視点は全くないということは、これは例えば満州でですね、今の東北ですけれども一番最初に逃げたのは関東軍であった。そしてその次に逃げたのは、満州国の、まあ、当時の官公役人といいますか、そういう人たちが二番目に逃げてきた。で三番目が市民であったと、そういうことからも、はっきりしていると思います。
  普通の国になるということは、決していいことではないということは、まあ、しっかりとやっぱり認識しておかなければなりませんし、仮に軍隊というものが、憲法上認められるというようなことになれば、当然のこととして、徴兵がまいります。徴兵義務というのは、明治憲法ではちゃんとうたわれているわけですから、そういう意味で、やはり憲法の改悪を絶対に許してはいけない、ということで今日の準備会を契機にいたしまして、大いに憲法改悪反対と、現行憲法をきちっと守らせるという運動を展開してまいりたいと思います。
  よろしくお願いをいたします。

以上